2010年11月22日

ブラック企業大庄?

なんか、ブログ見てたら居酒屋チェーンの『大庄』グループについて書いてる人がいましたよ。
文章ちょっと借りてみます。

株式会社大庄、石山駅店(大津市)に勤務していた吹上元康さん(当時24歳)が2007年8月に過労からの心不全で死亡した事件で、両親が訴訟を起こし、平社長ら役員4人に慰謝料など約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日に下されました。

京都地方裁判所は、「生命、健康を損なわないよう配慮すべき義務を怠った」として、株式会社大庄と役員4人に約7,860万円の支払いを命じています。

株式会社大庄は、「日本海庄や」など計900店舗を展開する全国チェーンで、株式上場もしています。
問題となったのは、月間80時間を超える時間外労働と、賃金のカラクリ。

賃金のカラクリとは、下記のとおりです。
月給19万円という条件で社員を採用。しかし、これは基本給ではなく、実際の基本給は「自給713円」という関西の最低賃金。月間80時間の時間外労働を満たさない場合、「勤怠控除」という名目で月給から引かれる仕組みになっていることが明らかになりました。

石山さんは、「調理師免許の推薦がほしい」という一心で、2007年4月の入社後から過酷な労働に耐えていましたが、入社4か月後の8月、心不全で死亡しています。


これホントなんでしょうかね?
ニュースブログって書いてるし、情報元もあるだろうから、ホントなんだろうけど。
当時のニュース見てないから何とも言えないなぁ。

実話だったとしたら、ヒドイ話ですね。
大庄とか絶対就職したくないな〜。
posted by 羽崎優 at 08:48| Comment(7) | ブラック企業大庄? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

40代バブル世代の沿革

ここでは、「40代バブル男子」を含む「40代バブル世代」の沿革(誕生から現在まで)を紹介していきます。

◇誕生◇
40代バブル男子が生まれた時期は、高度経済成長の中盤。当時はベトナム戦争の真っ只中で、全共闘やパリ5月革命といった学生運動が高揚した時代に生まれる。

◇学生時代◇
小学校に入学したのはオイルショックの直前か直後という時期。「四畳半フォーク」が流行した時代に小学生生活を送る。
中学時代から高校時代に当たる1980年代前半には、いわゆる「ツッパリ文化」の最盛期。矢沢永吉や横浜銀蝿などに影響を受けた不良ファッションが大流行。校内暴力発生件数が戦後最多を記録し、校内暴力がメディアで騒がれた。
大学に進学すると、「バブル文化」の発信源として華やかなファッションブームや文化を生み出すようになる。学問に没頭することは一般に「ダサイ」とされ、享楽的な生活を謳歌した大学生も多数いた模様。

◇就職◇
大学を卒業する頃には、バブル景気により就職市場が大幅に好転。
いわゆる売り手市場となる。企業から人気の高い有名大学の学生は接待を受けるようになり、「3S(寿司、ステーキ、ソープ(風俗))」というキーワードも誕生した。

◇就職後から現在◇
就職後、バブルが崩壊し、不況に突入。所属する企業が採用人数を大幅に絞ったため、過密労働を強いられるケースが頻発。
リストラ対象として企業からマークされ、仮にリストラを免れても、給与が伸び悩んだり、経験不足の状態で昇格させられたりといった状況になる。社内でのポスト争いや重くのしかかる責任から心の病を発症する事態が勃発。


こうやって見ていくと、若い頃にはあまり苦労せず人生を楽しんでいたのに、バブルが崩壊して不況に陥ると突然「転落人生」になった人も多いようですね。なんだか少し気の毒な気もしてきます。





↑「文庫 オレたちバブル入行組」表紙の背中が寂しく見えるのは偶然でしょうか・・・
posted by 羽崎優 at 14:05| Comment(0) | 40代バブル男子の成長過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

40代バブル男子の就職活動

40代バブル男子就職した時期といえば、バブル景気の真っただ中です。
今では、「超売り手市場」と言われるように、企業がこぞって学生(新卒社員)の確保に奔走していたようです。

多くの企業が、学生の目をひきつけることを目的としてテレビで大々的な企業広告を行い、豪華な企業パンフレットを作成・配布して学生の確保に尽力していました。
また、青田買いの一環として、都市部の大学生が主宰するイベント系サークルやそれらが企画するイベントへの協賛を企業が積極的に行っていたとされています。
今の時代には信じられない話ですが、本当のようです。

見込みのある学生(主に有名大学出身者)の確保に成功した企業は、内定者を他社に取られないようにするため、研修と称して国内旅行や海外旅行に連れ出し、他の企業と連絡ができないような隔離状態に置く、いわゆる「隔離旅行」を行ったというのも、よく聞く話です。

特に体育会系が「忍耐強い」という理由で好まれ、激務だった証券業界などはわざわざ食事を奢ったりしながら学生の確保に努めたようです。

ちなみに、有効求人倍率は、1991年に1.40倍を記録。リクルートの調査では、1991年卒の大卒求人倍率が2.86倍にもなったようです。

この世代からは公務員がバカにされるのも有名な話で、「公務員はバカがなる職業」という発言もされていたと記録されています。失礼な話ですね。

また、誰もが知っているような超有名企業(特に広告会社やテレビ局、航空会社、大手飲食メーカー)に希望が集中し、理科系の学生も文化系の職種にこぞって応募したことから、のちに「文系就職」と揶揄されることになります。
その波を受け、製造業は採用苦に陥ります。40代バブル男子の就職活動時代には「メーカーなんてダサイぜ?」という声が多かったようです(当時を知る先輩への筆者リスニングによる)。




↑この本にバブル経験者の生の声が収録されています





posted by 羽崎優 at 21:20| Comment(7) | 40代バブル男子の就職活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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